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新病諦A


突然だけど、今日からブログを始める。

別に誰にも晒さず日記でも付ければいいのだけど、いかんせん字を書くのは苦手だ。
その癖、中学の頃からタイピングだけはクラスで一番が獲れたような人間だから、紙に何かを書き記すよりディスプレイに向かっているのがバイオリズムとして自然なのだ。

それに誰かが見てくれる、と考えると少しはマシな言葉運びを心がけるってもんで、
こういう書き置き場をスタートさせてはやめてしまう臆病さを今回ばかりは捨て去って、なんとか長く続けたい。見守っていただけるととても嬉しい。

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まずは近況。
脚本・撮影・演出・編集を担当した、
Balloon at dawn"あたらしい海"(Official Music Video)が公開になった。
https://www.youtube.com/watch?v=0dD6PjskxyQ

バルーンの撮影はいつも楽しい。
と言っても3本,4本程度しか関われてはいないのだけど、
とはいえぼくがお付き合いしているバンドの中では最も多作な部類に入る。
「Girls around the gate」出演者募集には3,40人の女の子がメールをくださった。
無名の監督の作品で色々リスキーなのにあれだけ連絡があったのは間違いなくバンドの力だし、予想以上の応募の結果、いまだに自分でも見返すほどお気に入りの「三月」制作だって決まった。
そんな大船に乗っかって「ビデオ」という領海においてだけは約2年間、舵を切らせてもらったけど、撮影中のぼくが出演の藤井さん、ミオさん、三月の横井さん、また同行して画角や演出を見てくれた井口くん、三月で補助してくれた上田くんや小松くんにどう映ったのだろうか。これまでもこれからも天狗の鼻がうっすらでも見えたら遠慮なくチョップをかましてほしい。

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まあそんなことはどうだってよく、

Balloon at dawnはアルバム「Tide」で活動を終える。
2017年末にデモ段階の「あたらしい海」と完結の話を井口くんから聞いて、
すごく寂しいと同時にそうだよな、という思いがよぎったのもまた事実。
渾身のフルアルバムという幕引きは悲しいけれどやっぱりどうしたってすごく正しい。
立場上、一足先に聴かせてはもらっているけど言葉にできないほど本当にすごいアルバムで、それを言葉にしてしまうとネタバレになってしまうので、発売後、機会があったらどこかで話せたらと思う。

メンバーのみんなが、ビデオに出演してくれたみんなが今後どんな道を歩むのか詳しくは聞いていない。けど仲良くしてもらえたら嬉しいな。
各々の活動のお手伝いは勿論だけど、普通にご飯に行ったり、遊びに行ったりだってしたい。
それと、あの時メールをくれた女の子たち、みんなに何かいいことがありますように。

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「あたらしい海」の編集が終わった6月後半から大きく体調を崩した。
最初は喉が痛く、熱が出た程度でまあ大丈夫だろと職場に通うも帰宅すると39度から一向に下がらない。
扁桃炎の診断が出て1週間、2週間と薬を飲んだり、たまに会社を休んだり。
そうやって誤魔化すも全く効き目がなく、3週間目でいよいよ声が出なくなった。水を飲むのも激痛が走る。
読んで字の如く息も絶え絶えに大きい病院にかかることになった。
血液検査やCTを経て出た結果は「エプスタイン・バール・ウイルス」。
今はもうまったくその気は失せたけど、慢性化すると死にも至るそうで。
経過はしっかり見ていかないといけないんだと。元々喉が弱い自分を呪った。

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物理的な症状として肝臓の隣、脾臓という臓器が腫れているようで、
バスケットボールのパスを受けると最悪死にます、と言われたがこれが危なかった。
引っ越してから熱が出るまで、毎週の休みはひとりレイアップに勤しんでいたからだ。
元気になった今もなお、触れば自分で痛みが解る程度に脾臓は腫れている。
昔から病院とは縁のある方だったけど、今回ばかりは本当に死んでいなくてよかった、と思った。
しかしまあ、バスケットコートとプールが近いので今のアパートに越したのもつかの間、腫れる脾臓のおかげで1か月は安静が必須とのこと。この夏はもう、何もできない。平成最後だって周りは大忙し。ぼくは静かに何冊かの本を購入。
プライムデーに心から感謝。

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そうして到着したうちの一冊「天才はあきらめた」山里亮太
まだ読了はしていないけど、わかりよい単語で紡がれる切実な才能への渇望。目を背けたくなるほどの共感がある。
職場へ通い、お金はもらっているけどぼくもまだまだ先は長い。
売れるまで5年?10年?15年?だから自分は言うなれば芸人だ、
なんて錯覚することがあるけど、あながち間違っていないと思う。
そこ鼻チョップすな。

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最近お笑いでハッとした瞬間。

「女には下積みって言う概念がない!」。

ちくまでのコラムも楽しみにしているAマッソ、大好きなDVDにも収録されているネタ。
教師がラーメン屋になりたい不良生徒を野次るうち、ボケもツッコミもないまぜになっていくコント。性差を自虐的に切り捌いていく様相がおかしく、見るたび笑えるのにどうも心に響いて鳴りやまないこの一節。
男女問わず、ずっとこの社会に足りないのはきっとこの感覚じゃないか、と思う。

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先輩のいうことを絶対聞け、飲み会は盛り上げろ、
……とかそういうことでは全くなく(余裕があったらやってみたらいいと思うが無理は禁物)、
どうも学生から社会人というものには決定的な過渡期がなく、やはり突然社会に放り出されるような感覚がある。
実際、去年に学生から社会人の立場になって、大きすぎるギャップを感じたのは事実だ。
予行演習も何もないまま「現場でものを覚えろ!」。
という割にアナログもデジタルも入り混じった現状じゃあれもこれもなんのこっちゃさっぱりだ。
きっと大学なんかを出てから2年ぐらい、真剣にバイトでも続けてからじゃないと正社員なんて勤まるもんじゃない。
その割に親族や満員電車はホラホラ社会人なんだから、とぼくに無謀な責任や保険の支払いを押し付ける。
窮屈すぎてぼくはその電車から降りた。

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そうして職を変え、実家を出て、ある種の自由を手にして早4ヶ月。
はっきり言うと、以前と比べれば随分気楽にやっている。
もともと就きたかった職業、というか目標とする地点の為に通過が余儀ない職種で、
高校生の頃から道筋を探り、演劇、ラジオ、映像と手を変え品を変えやっと落ち着いた場所。
不満はゼロではないにしろ去年の今頃と比べればずっと心地良いし、
大阪市内の空の狭さより、京都市内の山の近さが自分には合っている。
この先きっと色々あるけど、ひとまず乗り換えがうまくいって良かった。
なんて安心している折、職場の方にご飯に誘ってもらった。
尊敬できる技術を持った猛者ばかりの環境、断る理由なんてない。
どんな話が出来るかとネタをいくつか仕込んでいたけど、
思いの外シリアスな切り口に3時間、ぼくはじっと聞き入り感嘆すらできなかった。
どうしてあの人はぼくを誘ってくれたのだろうか……。
帰りの電車で「天才はあきらめた」が、Aマッソのあの一節が、左右から同時に鼻チョップを食らわせた。

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実家を出て住処を得た、そんな自由をぼくは少し勘違いしていた気がする。
1日に何通アマゾンの箱が届いたって誰も咎めない。
メルカリでスチャダラパーのTシャツを買った。
別に自由になりたいから家を出たわけじゃないのに。
やらなきゃいけないことがたくさんある。瘋癲こいてる場合じゃない。

昔からぼくは天才じゃない自覚があった。

みんなは出来た逆上がりだっていまだに出来ずじまいだ。

マイノリティー。学生じゃなくなり、社会から逸脱し、今がまさに下積みである。
ずっと前から志す本質は変わらない。やっぱり自分は特別なんかではない。
実家から持ってきた「風立ちぬ」を久々に見返す。そんな浅ましさをどうか今晩は笑ってほしい。