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二割五分


 自分が「夢見るリアリスト」であるのではないかということについて(※夢見りあむではない)。

 あの頃の教室や、今も歩く街中で「相容れねえな」と感じる彼奴等は現実世界をめいっぱいに楽しみ、騒ぎ、それなりの頻度で世間様へ迷惑をかけているように見えて一方で、当時で言えば自分が属するクラスという組織を盛り上げることに腐心していたり、今で言えば立派に仕事をしながら子供を育て上げたりしている。あくまで現実世界の範囲で、時に自分の理想を振りかざしながら自己実現を果たさんと躍起になる彼ら彼女らを「実現可能範囲内のロマンチスト」であると仮定しよう。その上で自分を顧みると全く逆の性分であることに気付く。大きい夢や、目標や、いい歳になってまだ抱えているモラトリアムと日々付き合いながらともすればそこに身を投じきれない歯痒さ。ある種のスーサイドに踏み切れずいる私は「明日」「今日」「この瞬間」の安寧やルーティンより脱することの恐怖からのゆるやかな逃避を被害者面で続けながら、片手間にそろばんを弾くようにそのリスクやコストの計算をきっと無意識のうちにどこかでやっている。VRゴーグル装着して尚四畳半の箪笥に小指ぶつけてあくまで仮想世界で号泣、みたいな感じでしょうかね。わかんないけど。なんとまあ効率が悪い性分。これじゃ日がなめっちゃやむのもやむなしかな。

 

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 そんな矛盾を抱えた私に搭載されているエンジンは憎しみ妬み嫉みで動くらしく、最近は職場やインターネットのつらみにわざわざ首を突っ込んでしまっているんじゃないか、とすら感じるくらい悲しい出来事が目に付いてしまう。そんな自分にウンザリ。本当はこんな悲しい機構で動くの、めちゃくちゃ嫌だしやめにしたいんだけどね。だけど世の中のことも知っておきたい、とか言い訳しながら政治経済のことはなんとなく流し見するだけ。うわあ文字にしてみたら本当にダメな人間だな。方々に転移しきった悪しき意識を浄化するべく、中身を総入れ替えするならばきっとガワだってバラさないといけない。ガワをバラすくらいなら最初から作り変えたい。可能であれば、ストリート系ファッションに身を包んだショートカットダウナー美少女に。だけど人間は機械じゃないのでそれもできないっぽい。つらい。前向きに生きたいな。そういうの、なんとなく意識してるだけでもいつの間にか良い方に変わってたりすることだってあるし、とりあえず気にしておく。人間は機械じゃないのだから、この環境に耐え抜くための私の進化に期待です。

 

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 かつてオードリーのANNで若林がこんな話をしていた。

 「野球にしろ博打にしろ、当たるかどうか、2割5分くらいが一番面白くて、人はそれで中毒になる。昔、ラットを使った実験で"Aボタンはエサが必ず出る/Bボタンはエサが時々出る"ってことを仕込んで、Aボタンからエサを出ないように設定をいじると、以降、Aボタンをラットはボタンを押さなくなった。同じく設定を変更しても、Bボタン側のラットは諦めずに押し続けるらしい。どっかでぽろっと出るんじゃないかって信じちゃうから。そう考えると春日は自分にとってのBボタンで、2割5分で、だから俺は中学の頃からずっと春日中毒なんだ」と。

 

 私に限っては、これはきっと間違いないよね~なんて作品はわざわざ劇場まで見に行かない気もするし、DVDだって買ったり借りたりしていないのかもな。そもそも人生とか、未来への期待だってきっとBボタンだよね。途方に暮れながら半分無心でトライし続ける、さながらバタイユのサイコロだ(最近覚えた)。

 

 自作だって、2割5分くらいはヒットを飛ばせていたらいいのだが。

 

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 "人は誰でも自分の立場を卑下し続けることは、なんていうか、しんどい。しんどいのはやんなっちゃう。何としてでも「こっちはこっちでね、イケてるんだよ、へへん」と誇りを持たなくては、この先創作活動する上で都合が悪いのだ。"

 webちくま連載 Aマッソ加納「何言うてんねん」 第13回「みんなで勝ち得た、それでいいのさ」より(http://www.webchikuma.jp/articles/-/1729)

 

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 先日部屋へ泊りに来た友人から、バットを振らないと始まらないよ、と言われた。そんなハルハ・ラハル(a.k.a ハル子)みたいなこと言うなよと感じたけど、キャッチボールがしたいだけなんでゲームはごめんだねと伝える。野球は特段好きじゃない、サッカーも大昔に長いことやってたけど下手なまま辞めてしまった。10年以上続いたスポーツは唯一水泳くらいで。それも早く泳ぐとかじゃなく、だらだら泳いでしばらくして振り返って遠く海岸を感慨深げに眺めたり、スクールでは誰と競うでもなく今日は一体何メーターいったかねとちょっと数字を気にしてみたりするのが好きだった。昔っからまるで成長しねえな、と思ったところで昼休みが終わった。明日からいよいよまた本業が忙しくなるっぽい。溺れないようにしなきゃな~と微睡みつつ、今日もめくるめく転職サイトをネットサーフし息継ぎのように煙草を吸う私でした。

 

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 上のテキストをしたためて数週間後、無事炎上中の現場で「機嫌良うやりましょうや!」「元気よく行きましょう!」と連呼する機械になった私。これではまるで「ロマンチスト」の彼奴等と変わりないのではないか……と悩みかけるも、いや待てよと。自分がネガティブであることは痛いほど自覚しているけど、だからと言って他人や環境に対して無用にネガティブである必要もないと思う。押し付けがましいのは当然ご法度ながら、誰かに対してポジティブなイメージを持ったり、それを喚起することにブレーキをかけすぎるのは良くないなと最近思った。結局自分はキャッチボールがしたいだけ、というのもきっとそうで、シビアなことでもくだらない話題でもとりあえずきちんと議論することが大切なのではないか。顔を突き合わせて、腹を割って話す。そこで喧嘩になったりするのは確かにつらいけど、行為自体は建設的で、健全で前向きで素晴らしいことなのではないか。

 

 取り急ぎ、他人のことをあれこれ陰で揶揄したりするのをやめてみた。

 

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 そうは言っても周囲は変わってくれないし、そもそも煙草を吸い始めたきっかけである今の職場の上司はやっぱり相変わらずである。いい加減気付けよなと思う反面、そのことをブログに書いているようじゃあまだまだ私も変われていない様子。本当にやれやれです。

 

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 「自分を世界の形に削るのか、自分の形に世界を削るのか」とのエクスキューズを序盤に投げかけ、最後までそのテーマで走りきった鬼頭莫宏なるたる」。最終巻、巻末の言葉にはかれこれ10年間生かされている。

 "「かけがえのない命」。そんなモノに救いを求めていても先には進みません。あなたがいなくても、たいして困りません。自分がいなくても、まったく困らないでしょう。だからこそ、無くてもよい存在だからこそ、がんばるのだと思うのです。"

 

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 先週から痩せようと思って1日1万歩、歩くようにしている。

まずは世界の形をきちんと知ることからはじめてみよう。