「相手がおじさんだったら、ニコニコしてるだけで大概上手くいくから羨ましいですよね」「女性の方が大変だなんだって言うけど、僕はみじんもそんなこと思わない、むしろ楽なはずでしょ」と、いつもは気さくに話しているはずの男の子の後輩が、仕事の忙しさもあってか、何気なくちくっとそういうことを言っていて、なんと返事をすべきか、かなり悩んだ、面喰ってしまった。
僕は生まれながら、女性の多い環境で育った。親戚やいとこも女性中心。母親がよくかまってくれて、4つ年下の妹もいる。小学校の頃は口だけ達者で、それなりに正しいことを言うけど、おおきな身体つきの割に別に力は強くなくて、むしろ運動がめちゃくちゃ苦手。暴力も嫌いで、おまけに弱虫。何事かでめそめそしているところを、女子にかばってもらうことも少なくなかった。中学校では吹奏楽部、40人ほどいた部員の9割が女性。高校は国際科で40人クラスの30人超が女子、所属した軽音楽部も女子多め。大学で1年ちょっとして飽きて行かなくなったサークルも、課外活動の放送局も携わった7,8割が女性だった。今の職場も女性の方が圧倒的に多く、むしろ男性ばかりだった前職は、「男社会」のノリに馴染めず、すぐ辞めてしまったし、心なしか、人生の大事な相談をするような、気を遣わずにあらゆる考えを打ち明けられる友達について、"生まれた瞬間の身体的な性別"で分けることについて、目を瞑っていただけるのであれば、女性の方が、数は圧倒的に多いような気がする(それは、幼少期や青年期に父親に何を話しても否定されたから、という言わば「男性"性"恐怖症」的な、通俗的な「男性恐怖症」とは別の、僕の中で芽生えた悲しみ因子に由来しているし、そういう時に本心を吐露する相手が母親や妹、祖母であったというのが大きいように思う)。
長年、そういう環境で暮らしていると、自分にあれこれ聞きたがりの下心があるわけでもなく、女性側になにか悪気があるわけでももちろんないと思うのだが、自然と身体の話、体と心のバランスの話。そういう話題を持ち掛けられることが増える。早い話が月に一回程度、生理というものがあって、仕組み的には必要不可欠ではあるけれど、とにかくめちゃくちゃしんどくなる、ということ……これは母親の教育に感謝だが、自分はかなり早いうちからそういう女性の身体の仕組み、それが何をもたらして、体調にどういう変化が起こるのかを、母親が、全く包み隠さずに僕に話してくれていたし、その結果として発生する家事の手伝いなども時々あって、それも特に苦ではなかった。むしろ、しんどそうな母親のためになるなら、という気持ちを強くしていたと思う。これはかなりの邪推が混じるが、父親がそういうことへ無頓着だったことへの反発、反動で、僕を全く違う形の子供に育てようと試みていたのかもしれない、そんなの母親の子育ては、その意味で、大成功している。と、我がことながら言い切ってしまっていいと思う。が、そういう母親の影響を強く受け、なんらか人の役に立ちたいという、思想の上に僕の自我が芽生えていったことで、共感し、慮る、傾聴力のパラメータがあまりにも尖り進んでしまい、逆に言い切り、振り切る、決断力みたいなものがなかなか身につかず、いつまで経っても心の殻の中に件のめそめそ少年が棲みついているという……そういった意味で、旧来的な「男性"性"」を養うような教育としては、大失敗でもあるかもしれない。が、二兎を追う者は一兎をも得ずという言葉もあるくらいので、そのあたりは読んで字のごとく、まさに一長一短、である。
月に1回、女性であるというだけで、1週間くらい身体が言うことを聞きづらい期間がある……と言うだけで、男性である自分には体験も、想像もし得ない、相当なハンデを背負っていると考え込んでしまうし、あと、全く別の話ではあるが、女性であるだけで「ナメられ」が発生することも少なくない、とも、多方から聞いている。それは一般的に想像されがちな、セクシュアルハラスメント的な問題、それらも含まれつつも、決してただそれだけ話ではない。例えば、道を歩いているだけで知らない人に、出会い目的ではなく絡まれる、怒鳴られる。ふと憶えた怒りを発散する他人、主に男性からの、所謂ぶつかりおじさん的な事案が、駅や道端で突然発生するというし、その上で、先述のナンパ的な目的の輩が付きまとってくることも少なくないらしいので、気楽にイヤホンをして、外など歩きづらいそうだ。男性である自分は、そういうことに遭遇したことがほとんどなく、もし仮に逆の立場であれば、果たして何をどこまで気を付けるべきか、悩みに悩んで、外に出ることを金輪際拒んでしまってもおかしくないはずだ、と感じる。
また、フリーの写真家、ビデオ作家として活動している別な友人は、同じカメラマンの、初対面の男性から知識マウント、女性だからこういうのは詳しくないかもだけど、的態度を取られることが、かなり多くて、いつもムカついているという。彼女は知識もしっかりあるし、技術も確か。ある程度お金が入ったら新しいカメラ機材を買うか、ひとりで名前も聞いたことないような国まで旅に出るような人である。そのバイタリティたるや、目を見張るものがあるし、むしろ僕は、自分が監督をさせてもらうたび、カメラのことを知らずに彼女に色々お願いしがち。だから、一緒に仕事をしても「無茶言うな」と呆れ笑いを携えつつも怒られてばかりであるのだが……そういうお願いを頻繁にしてしまいたくなるくらい、再三言うが、彼女の腕は確かだし、色々難しいことにも粘り強く挑戦してくれる。できないならできないなりに、なるべく近い形で実現が出来そうな代替案をしっかり出してくれる。僕はどちらかと言えば、人に頼まれて難しいと考えたら、自分の得意なフィールドに持ち込んで、なんとか乗りこなそうとするタイプ。その点、彼女の方が自分よりもよっぽど、仕事にきちんと取り組む、出来るタイプだと感じているんだけど、そんな彼女が「女性である」だけでマウントを取るとは、ずいぶんと性根の腐った奴がいるもんだ!とびっくりして、ひたすら愚痴りあったこともあったりした。
余談だが、そんな彼女に言わせれば、僕はカメラにほとんど興味がなく、知識もあまりないので、瞬間的なきらめきを捉えること、それを逃さないことについてなど、ちょうど自身が本来拘りたいポイントについてのあらゆる判断を任せてもらえて、仕事がやりやすいそうだ。ありがたいやら恥ずかしいやらである。ではその時、僕が何をしているかと言えば、どちらかと言えば彼女が苦手らしい、演者の動線、演技付け。撮られた素材が構図的に美しいか、その構図が崩れないカメラワーク、演技、動線、それらが実現されているか。リテイクが必要なら次の指示を出したり。今日の撮影残り時間や移動時間、日没時間と照らし合わせて、予定していた撮影カットを削ったり、逆に足したり、現状の工程進捗と残りの全体カット数、翌日以降の撮影予定日数や時間、天気、太陽の具合、出演者やカメラマン、そして自分の疲れを俯瞰して、出来上がりの想像をしながら、常時クオリティラインを見据え、最終的にはどこでみんなで晩飯を食べようか、考えるのである。と、まあ冗談半分ではあるが、僕は職人的にぐっと堪えて構え続けるよりは、本業もマネジメント業、かつ管理職の立場であるからか、理想と現実の間を取る、ということが得意で、どこをOKとするか、端的に言えば「諦め」でもあるのだが、常々そういう仕事をやっているような気がする。そして、それが監督という生き物の指名、大命題でもあると考えている。
話があっちゃこっちゃ飛びで心苦しいが、女性と男性に関して。自分なりに総合すると、32年生きているうちの、少なくとも20年以上、女性側の身体的であったり、精神的であったりする、苦労を割と直接的に目の当たりにしてきた"男性"である自分としては「女性の方が楽」だ、とは、どうにもこうにも、口が裂けても言えないのだ。
もちろん、自分が「男性である"こと"」から来る苦労の経験も決して、ゼロではない。それこそ「男性"性"」というか、僕が前職を離れたのは、繰り返してしまうようだがその男社会的空気の濃さに耐えられなかったからであるのだが、そこでかつての自分がそうしたように、あくまでも「男性"性"」とは、意識さえすれば距離を取ることができる、外付けの要素でしかない。それは「女性"性"」にしても同じことが言えると思うが、そういう"性質"の上に成立してしまった苦労に関しては、剥離していくことも不可能ではないと考える。では、自分が「男性である」そのものから来るだけの、何か苦労があるのか、と言うと僕としては、そんなものは一切ないような気がしている。そして、ここまでで述べたように、女性は「女性である」だけで、その姿かたちを伴うそれのみで、たいへん大きな苦労がある、これは暮らしをサバイブするうえで凄まじい枷なのではないか、と、身の回り女性たちを眺めているとどうにも、感じ入ってしまうものである。
とはいえ、僕は自分から女性を、女性であるからと、過度に気遣うことは敢えてしないようにしている。だからと言って別に思いやらなくていい、ということでも勿論ないし、当たり前の話だが、性差は相手を突き放す理由にはならない。必要な時に、必要な人に、手を差し伸べられるくらいの心の余裕が、仮になくてもなんとか奥底から捻りだして、なるべくはそういう人間で居続けたいと、昔から感じているし、今もそう信じている。
昨晩は、そんなことをモヤモヤと考えながら、副業のコンビニバイトを終え、深夜0時半過ぎに帰宅。朝からねむけまなこを擦りながら本業へ向かうと、お局さん(※女性)からさんざん嫌味を色々言われ、深く傷つき、結局、人によるんやないかい。と、至極当然な結論に達し、これからまだまだしばらく仕事で疲れることになりそうな男の子の後輩に、僕は男性的発想から、多量の特大カップラーメンを差し入れた、そんな今日……なのでした。
「女性は女性でやっぱり苦労があるんじゃないかなあ」なんて言える男らしさもなく。




