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天気の子

 

 今回はブログというよりはちょっと番外編で、新海誠の新作「天気の子」を同日に別の場所で見た友人(以下S)と私(以下M)が交わしたラインを掲載してみます。深いところまで議論が及んだわけじゃないけれど、今作に対する我々のスタンスの違いって割と多くの人に当てはまるんじゃないかなと勝手に思ったので。鑑賞一度目のオススメとしてはできればこの記事も読まず、RADWIMPSの主題歌も聴かずに劇場に向かうことではありますため、ネタバレ等々気にする方は是非そのタームを踏んで頂けると助かります。もう見たよって方や、マジで色々気にしないぜって方はよかったらスクロールしてみてください。

 

 ※文章の内容や映画とは一切関係ないですが、友人Sが脚本を、私Mが脚色演出撮影編集したfedress「矢印ふたつの両想い」も併せて見て頂けるととても嬉しい!

 

 

 

 

 

 

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M:「天気の子」見た!

 

S:俺も見た。どう思った?個人的には永遠に77~85点を行き来してる感じやった。何て言うんやろ、ちょっと綺麗すぎる。

 

M:辛辣だが、それもまたよし。本当に感じ方は人によって全然変わる気がするねん、生活とどう向き合ってるかみたいなレベルで。

 

S:毒抜きした「イリヤの空、UFOの夏」はこんな感じなんだろなと思いながら見てた。

 

M:ラストの台詞が「だから僕らは大丈夫だ」かつ歌い終わりが「僕にできることはまだあるよ」じゃなかったら、全然違う評価になってたかも。

 

S:あー、そこまで深く考えてなかった。

 

M:時代に対する強固なメッセージを感じられたから、ご都合気味な節もある展開とか背景周りの雑さももう全然OKかな、甘いかもやけど。個人的にめちゃくちゃ気が滅入ってたから、今見られてよかったな。ほんまに個人的な都合やけどね。

 

S:それは確かにあるな。煙草然りSNS然り揶揄は多かった。

 

M:なんかもう、とにかく細部の粗とか全く気にならんねんな(終盤ギリギリまでほんまに色々気にしてたけど)。それらを最後にひっくり返せる、簡潔だけど時代の不協和にフィットした言葉を置いてける、時代に必要だと勘違いでも思わせてくれる映画であるのがめちゃくちゃ嬉しいというか、表現しにくいけど。

 

S:この映画の感想を言葉にするの凄く難しいし的外れかも知れんけど、本当に全部綺麗すぎるねんな。映像も音楽も流れるタイミングも、キャラクターたちも全部。違和感がある訳じゃないんやけど、想像の域を出ない感じだった。

 一方で、設定は素晴らしいと思った。セカイ系を描くに当たって難しいのはその世界観と設定を視聴者に受け入れさせることやと俺は思ってるんやけど、それを物凄く自然にストーリーに組み込ませて尚且つエンタメに昇華させてるのはもう圧巻だった。そこからシリアスに切り替わるのも自然な流れでやってのけてるし、"天気を操る"という設定をセカイ系に発展させる独自性は◎。

 ただ、セカイ系の肝はやっぱり世界か彼女かの二者択一を迫られたキャラクターたちの葛藤にあると思うんやけど、そこに意外性が無さすぎたかな。帆高は陽菜に一途で彼女一択だし、迷いも丸でない。理想的だけど優等生過ぎると言いますか。別に「イリヤ」における主人公・浅羽のそれを求めてる訳じゃないんやけど、あれだけ陽菜一筋だったくせに三年の保護観察はあっさり受け入れるのか……的な違和感は抱いたし。陽菜は世界か帆高を選ぶ前にもう少し葛藤があっても良かったんじゃないかな、ちょっと使命感抱えすぎなんじゃないかなとも思ったし。そういうストーリー展開に彼彼女らの心情が流されてしまってるような気がしてしまって、それでも大きな違和感を覚える人はいないだろうから、あー、綺麗だなーと思ってしまったんかな。

 エンディングに関しては攻めてて好きだった。確かにこれが「帆高は陽菜を救いました。東京も晴れました」やったら納得できないし。自分等が仕出かしたことを受け入れながら東京で生きていく感じも好きだった。

 

M:構造主義的にそれぞれの要素を洗い出すと確かに「綺麗過ぎる」。誇張なしに、言う通りやと思ったしマジで異論がない。あの坂道で三年を経た彼が納得しかけてた「仕方ない」って言葉、あれを畳み掛けるように自己否定し出すまでは本当にそう思ってた。画の美しさに何度か涙してしまったけど、でもお話としては全然納得してなかったのよね。

 ただちょっと考えたいのは、新海はそもそも全てをなぞる形で世界系をやろうとしたのか?ということ。展開やキャラの行動が想像に易しいのはきっとその結果で、迷いに迷って結局はお約束をなぞりきるしかなかったんだと思うよ。そうして作った上でラスト、前提をぶっ壊す形で(まさに主人公が諦念を自己否定してヒロインの手を取ったように)、最後の最後で都合のいい綺麗事を言ってしまうんだから、作りながらも凄まじい葛藤があったはず。というか、そのラストから思いついちゃったんじゃないかな。不安の多い時代を生きる誰かを肯定したくて作り始めて、結果としてそのメッセージの空回りがあった。近年の大作映画でも多々見られるけど、メッセージが先行して中身が伴ってない、ご都合主義的な展開。ここでこれをこいつに言わせたいから先にこう行動させよう、という傀儡にしかキャラがなってないのは、お前さんの指摘通り。そういう思いがはみ出た部分に狙いとしてラストのメッセージがあるとして、一方でその粗として全体に迷いが出て、傀儡たちをレールに乗せるためにセオリーに沿いきるしか手段が無かった、そういうフィルムだと思う。またその制作上の葛藤が、物語の泥臭さには反映されてないってのもマイナスポイント……ここまでは構造主義的に見たら、確かに絶対にそう。でも少し違うと思うのは数多作品群に対してそのメッセージの強さ。そして何度も言うようだけど時代とのマッチング。

 これはどんな映画を見てもいつも反芻することだけど……観客個人が果たして映画に対してその出来不出来を買うのか、心意気を買うのか。何に賭けるか、という意味でもあるけど、その点ではやっぱりあのラストの一言とRADWIMPSの歌の最後の二行を作品全体のメッセージとして乗せたことと、この時代に実弾として放ったこと。色々思うところはあれど、どうしてもその心意気を自分は買ってやりたくなる、って感じかな。作り手の欲望の発露を感じられる面白み、そして誰かと語り合うに足るかどうか。そういう点だけ見ても少なくとも純にいい映画だったのかなと思う。全部がウソの作り物で、誤魔化しまで多用しないとを設計しきれないアニメーションという媒体だからこそ出来たのかもしれない試み、という意味で日本のアニメーションの詮無い未来をそれこそ「大丈夫だ」とか「できることがまだあるはずだ」と思えるような。なんだかいつも通りポエミーになってしまったけどこんな感じです。笑

 

S:噛み砕いてくれたおかげで言いたいことはよく分かった。確かにラストをどう捉えるかは人によって分かれそうやね。俺の場合少なくともラストに自分や時代を重ね合わせることはなかったし。そこに関してはやっぱり映画の見方や生活の違いもあるんだろう。心意気を買うっていうのも凄く納得できる感想だ。そういう見方を踏まえて改めて考えると、なるほど面白いね。凄く腑に落ちた。メッセージ性が強い映画なんだなって再認識させられたわ。ありがとう。

 

M:細かいことやけど、背景の実写テクスチャーがめちゃくちゃ雑に見えてしまったり。引きと寄りでキャラとモノのサイズ感全然違う箇所も散見されたし。さっきもらった感想も踏まえてもう一回見に行ったらめちゃくちゃ冷めちゃうかもなんやけどね。笑
 一回目の鑑賞で自分が持った熱としてはここまでに書いたような感じ。というかこちらこそありがとう。実りある議論ができた気がする……!ここまでの内容、コピペして多少直して早々にブログとかで公開しようかなと思うんやけど、どう?

 

S:俺は逆にもう一回見に行ったら熱入りそうやな(笑)
実のある議論と言ってくれたなら何より。コピペでもなんでも勿論全然桶丸水産。

 

 

 

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